佐世保市に関する豆知識

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市内に本店を置く金融機関 かつて存在した市内に本店を置く金融機関 市内に支店を置く主な金融機関

観光業

佐世保市の観光産業の中枢であったハウステンボスはバブル崩壊による観光客の減少の影響を大きく受け、更に初期の設備投資が莫大であったために借金の完済が困難となり、2003年会社更生法を申請せざるを得なかったが、その後、新たなコンセプトをもとに復活の兆しが見えている。ほかに西海国立公園九十九島弓張岳なども重要な観光資源である。

名産品

姉妹都市・提携都市

国内

大分県南西部の九重連峰の北に位置する、人口約1万2千人の地熱と温泉と高原の町。昭和30年ごろから、佐世保市へ野菜や果物を供給していることが契機となり、国内姉妹都市締結となった。

国外

地域

地名

旧市内の地名は佐世保市の地名参照。 それ以外の地区は各地区のページを参照のこと。

地域区分

下記は市役所の支所・行政センターをもとにした区分である。

主な商店街

人口

教育

大学

公立
私立

短期大学

私立

高等専門学校

国立

特別支援学校

県立高等学校・中学校

私立高等学校・中学校

市立小・中学校

国防

1883年東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。やつでの葉のような形状と佐世保の字から古くは葉港と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。現在でも佐世保港には自衛隊護衛艦米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。

交通

航空

長崎空港へは西肥バス特急バス(ハウステンボス・川棚経由)と乗合ジャンボタクシー(9人乗り)が運行されている。佐賀空港へ直通する公共交通機関はない。 この他、福岡空港には高速バスさせぼ号」の一部便が停車している。長崎空港への特急バスと所要時間や運賃に大差が無いことから、航空便数や運賃で有利な場合が多い福岡空港を利用する市民や観光客も多い。

鉄道

列車

博多福岡市)までの特急は「みどり」が毎時1本運行されている。同列車は早岐にて「ハウステンボス」と連結する場合もある。県庁所在地である長崎市へは、大村線経由の快速「シーサイドライナー」が運行されている。(かつて2000年代前半に長崎との連絡特急「シーボルト」が運行されていたが、現在はこのシーサイドライナーに代わっている) かつては東京関西とを結ぶ夜行列車として、1999年11月まで寝台特急さくら」(2005年2月長崎編成も廃止)が、2000年3月まで寝台特急「あかつき」(2008年3月長崎編成も廃止)が、いずれも長崎編成に併結される形で運行されていたが、「あかつき」の佐世保編成廃止を最後に本州へ直通する定期列車は全廃され、現在佐世保市内に発着する列車は、下関山口県)発早岐行きの普通電車1本を除いて、すべて九州内のみの運行となっている。

鉄道路線

バス

高速バス

夜行バス(コーラルエクスプレス号
昼行バス

一般路線バス

タクシー

OKタクシー(旧ユニオンタクシー)、共益タクシー、キングタクシー、国際タクシー、佐世保タクシー、佐世保観光タクシー、三光タクシー、シルバータクシー、城山タクシー、しんわタクシー、西部タクシー、セブンタクシー、第一交通(佐世保営業所・旧エボシタクシー)、天神タクシー、天満タクシー、みなとタクシー(ブルーキャブ)、元町タクシー、ラッキー自動車

道路

自動車専用道路

一般国道

県道

主要地方道

港湾

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所

史跡

縄文時代

黒曜石産地でもあることから、小規模な旧石器時代の遺跡が多数発見されている。特に重要視され、国や県レベルの重要な史跡として認知されているものに、世界最古の土器が出土した泉福寺洞窟、遺物による生活推定の探求を日本で初めて実施した岩下洞穴細石器の製造法の編年基準となった福井洞窟が挙げられる。

弥生時代

相浦川の下流から河口域にかけての平野部では、国道バイパス工事や高速道路建設にともない、四反田遺跡門前遺跡が相次いで発見されている。また離島の高島では、原始時代の海上交易を物語る宮の本遺跡が発見されている。

古墳時代

南部の宮地区・早岐地区・江上地区で、石棺に土盛を被せた小規模・質素な古墳が4箇所発見されている。最大の鬼塚古墳でも直径15m程度である。近くのテボ神古墳は墳丘が破壊されて石棺が露出したもの。三島山古墳は盗掘痕があるが、のちに多数の石棺が追加され、墓所の中心として機能した。松ヶ崎古墳は発掘調査が行われておらず、今後の研究が待たれる。

平安時代

文献も遺物も残されていないことから、地元の郷土史家は「暗黒の中世」と呼んでいる。眼鏡岩の磨崖仏は空海が刻んだとする伝説があるが、実際には江戸時代の作品とされる。御橋観音福石観音の本尊は行基の作という伝説があるが、行基が佐世保に来た史実はない。史跡としての価値は低いが、市内各地で末法思想のころに流行した経塚がいくつか発見されている。また西日本各地の石材で作られた仏塔も俵ヶ浦半島などで確認されている。

戦国時代

この時代、市内には多くの城が築かれた。有力な土豪の居城としては、遠藤氏の鼻繰城、宇都宮氏の蓮輪館、針尾氏の小鯛城などが挙げられる。松浦党に属した領主の城としては、志佐氏の居城直谷城、宗家松浦氏の居城武辺城大智庵城飯盛城などがあり、特に平戸松浦氏と北松浦半島周辺の覇権を巡って激しい争いを繰り広げた宗家松浦氏の城は整備や発掘が比較的進んでいる。また、宗家松浦氏を降した後の平戸松浦氏による支配の時期に、大村純忠の北上に備えるために松浦鎮信が築城させた井手平城広田城は、実際に両者の戦場となり、多数の戦跡・伝説が残されている。なお、市内の城は江戸幕府が定めた一国一城令によりすべて廃城とされた。

江戸時代

近世の遺産は比較的多い。平戸往還は多くの区間で生活道路となっており、早岐地区の石畳や鍵型町割り、脇崎一里塚の記念碑や左石の伝説など、現在も往時を偲ぶことができる。また幕末に異国船が多数訪れるようになったため、佐世保でも高後崎に高後崎船番所が設置された。 農業の分野では、相浦川流域では溜池灌漑による棚田の整備、相浦川・佐世保川・日宇川の河口や早岐瀬戸沿岸では干拓事業が推進された。前者の例としては郷美谷池、後者の例としては大潟新田が大規模なものである。特に大潟新田の築堤や水門は竣工当時のものが現在も用いられている。また三川内焼初期の工房だった葭之本窯跡なども当時の遺構である。 当時の武士の暮らし向きを伝える史跡としては郡代役所の生垣や楠本端山旧宅がある。

〜近代

海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
  • 水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
  • 港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
  • 海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の要塞砲台跡、弓張岳烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
  • 旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
  • 早岐駅は県内の鉄道としては最初に九州鉄道の終点駅として開業し、その後も佐世保線と長崎本線(のち大村線)の分岐駅として重要視された。構内には開業当時から伝わる駅舎や、機関区で使われた煉瓦積み給水塔転車台などが残っている。
  • 世知原地区炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
  • 黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。

テーマパーク・博物館

レジャー

イベント・祭事・催事

佐世保市出身の有名人

政治・経済

文化・芸能

スポーツ

野球

競馬

競輪

ボクシング

出身ではないが縁のある有名人

佐世保市を舞台とした作品

ロケーションのみが行われた作品も含む。

テレビドラマ

ドラマではないがテレビ番組

小説

映画

音楽

アニメ・コミック

ゲーム

その他

関連項目

  • シャッター通り - 脱却成功事例として評価されている。
  • 釧路市 - 佐世保市と同様、20万人規模の地方都市で、シャッター通りに関する記事でよく比較の対象とされる地方都市。
  • 刈谷市 - シャッター通りに関する記事でよく比較の対象とされる名古屋近郊の都市。
  • 全国市町村一覧

参考文献

  • 財団法人日本離島センター編『日本の島ガイド SHIMADAS』ISBN 4931230229
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 42 長崎県』1987年 ISBN 9784040014203

脚注

外部リンク

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